自分の言葉(想い)を持つ大切さ
今朝、教育現場での変革のニュースを聞きました。
誰もが義務教育の時に当たり前に手にした“通知表”を廃止して数年経ったという、神奈川県のとある公立小学校についてです。
今までの学校教育現場では、生徒(児童)の皆が同じ内容を同じ様に学び、その理解度が点数で評価されてきました。(その一つが“通知表”ですね。)
最近は、上記の小学校の様な教育現場の様々な変化の様子をよく耳にします。
音楽の世界でも違わず、最近は大きな変化の波を感じます。
ピアノの世界では…素晴らしい演奏を披露する演奏家たち、それも世界中の若い初々しい演奏家たちが話題を振りまいています。
デジタル社会の恩恵により、いつどこにいてもその素晴らしい演奏を鑑賞することができるようになりました。
本当に嬉しい限りです。
そんな恩恵を受けながら思うのは、これからのピアノ演奏の意義とは?それに伴うピアノレッスンの理想の形とは?といった自然発生的な疑問です。
数十年前は、数少ないヴィルトゥオーゾ(大家)といわれるピアニストの演奏が神のように崇められることが当たり前でした。
しかし昨今では、一昔前の大家といわれるピアニストとアマチュアピアニストのボーダーラインこそあるにせよ、その差が近付きつつあるのを痛感しています。
いろいろな意見があるのは承知しています。
様々な意見はあるにせよ、次の一点は揺るぎのない事実ではないでしょうか。
一人一人の人間が生み出す音楽こそ、一律に型にはめられないものであり、その人の内面が表現され形になるものである、という事実です。
さてさて、上記の教育現場の変化が意味するものとは…
一律に受け身の学びだけではこれからの社会生活では通用しないということ…それぞれが個性を発揮できるようになるための教育への転換…かもしれません。
ふと思ったのは…ピアノ演奏の場面でも、一律の受け身の学びだけでは通用しない(輝きを放つことができない)ということです。
今までにも増して、ピアノ演奏の基礎力をしっかり的確に身につけた上で、演奏者がそれぞれの内面からの言葉を(想いを)しっかり持つことの大切さを突き付けられているのを感じます。
その言葉(想い)がピアノ演奏に反映されてこそ、唯一無二の演奏となって輝きを放つことにつながるのではないでしょうか。
さかいピアノ教室(松本市)では、教室理念にある様に、これからも時代の変化に即したレッスンを工夫を凝らして行って参りたいと思っています🎶